友人に頼まれて、季刊「高校のひろば」Vol.30(日高教・高校教育研究委員会

編集、旬報社 発行)に書いたものです。発行は12月10日ですが、実際に

原稿を書いたのは9月でした。


  特集 どう変わる? 高校の教育課程4

 「情報活用能力」とコンピュータ教育 

 −なぜ「情報」の必修なのか−

櫻井宏明 


 

1 はじめに

 パソコンや電子ネットワークが普及し、学校でのコンピュータ利用はめずら

しくない。自治・文部両省による公立学校の教育用パソコン整備計画の進行と

あわせて、1998年からは4年間ですべての中学校・高校・特殊学校をイン

ターネットに接続する計画もある。こうしたなか、教育課程審議会は、その答

申(98年7月29日)で、すべての高校生を対象に普通教科「情報」を新設

し、必修とするとした。

 ところが、現在でもほとんどの学校で「コンピュータをどう使ったらいいの

かわからない」という状況であり、情報教育をめぐっては今後ますます混迷が

深まると予想される。

 

2 学校は大混乱

 現時点で「情報教育」は「コンピュータ教育」といいかえてもいい。今まで

学校へのコンピュータ導入は大混乱を引き起こしてきた。

(1)行政主導の導入

 学校現場へのコンピュータの導入は、行政主導ですすめられてきた。しかも

文部省だけでなく、通産省などが積極的に推進してきた。おそらく学校にコン

ピュータが導入され、それをきっかけに家庭へ普及するとなると、ハードウェ

アメーカーやソフトウェアメーカーなどが活性化し、産業育成になるという思

惑があったのだろう。

 したがって、教員がコンピュータを「どのように使うか」という明確なイメー

ジを持たないまま、「導入されたからには何とか使おう」という発想で、利用

が目的化されることも少なくなかった。

 

(2)財界からの人材養成の要求

 学校へのコンピュータ教育導入の背景には財界の人材養成の要求があった。

70年代初頭、「高度成長」政策が破綻し、資源小国・輸出依存という日本資

本主義のもろさが顕在化した。産業界は多資源消費型産業(鉄鋼・造船・石油

化学)から省資源型・知識集約型の産業へ基軸をかえるという産業構造再編を

余儀なくされた。

 さらに80年代になるとオンラインという形で業務の中にコンピュータが入

り込んできた。コンピュータは一部の専門家が使うものから多くの人が操作す

るものへと変わってきた。また、当時は情報処理技術者育成のニーズも非常に

多く、情報教育でプログラミングを教えようという傾向も見られた。

 臨教審の第2次答申(1986年)は「情報活用能力」を読み、書き、算に

並ぶ基礎基本と位置づけ、学校教育において育成すべきものとした。「情報活

用能力」は、情報化を中核としたハイテク産業で優位にたち、国際競争力を高

めるという財界の方針のもと、労働者を流動化させ情報産業へシフトさせると

いう人材育成要求にそって出されたものと考えられる。

 

(3)コンピュータはわかりにくい道具

 混乱させてきた原因はコンピュータ側にもある。それは次のような理由によ

る。

・専用機ではない。「本体だけではただの箱」といわれるように、ソフトと周

辺機器とを組み合わせることによっていろいろなことができる汎用性を備えて

いる。

・計算機からOA(オフィスオートメーション)機器へ、さらにコミュニケー

ションツールへと時代とともに道具の性格を変えてきた(註1)。

・数ヶ月で新製品が次々に出てくるというように、その技術は完成されたもの

ではない。

 

3 「コンピュータ教育」の現状

 それでは、コンピュータが教育現場でどのように使われているのかを見てみ

よう。

・教材提示の道具

 スライドやOHP、VTRと同じように教材を提示するためにコンピュータ

を使うというもの。デジタル化された教材が扱える。

・CAI

 CAI(Computer-Assisted Instruction)とは、コンピュータが教員の役割

を補完して、子どもの頭の中に知識を早く確実に効率よく注入しようというも

の。「一人一人の子供の特性等に合わせた個別指導の徹底」といっても、これ

までの管理主義教育、詰め込み教育の「効率化」以外のなにものでもない。

・情報処理教育

 コンピュータの構造やプログラミング言語などを教えること。システム・エ

ンジニアなど専門家を育てるための教育につながっていくもの。

・OA(オフィス・オートメーション)教育

 表計算ソフト、ワープロソフト、データベースソフトなどの使い方を教える

こと。

・情報活用(データベース利用、プレゼンテーション)能力の育成

 豊富なデータの中から目的とする情報を集め資料として活用したり問題解決

する能力や集めたデータを加工し、表現する能力を育てる。最近ではインター

ネットを利用することが多い。

・子どもの学習の道具

 考えたり、モデルをつくったりすることは子ども自身が行うのだが、現象を

記録したり、資料を分析したり、ときにはモデルをシュミレーションするなど

自分の考えをまとめるための学習を支援する道具として使う。

 さらに、クラスメートや他校の生徒とネットワークを通じて交流しあって、

相互に学び合いながら認識を深めていく。

 

4 パソコンの普及とネットワークの発展

 90年代になるとパソコンが急速に普及してきた。メモリの容量が大きくな

り、大容量記憶装置(ハードディスク、CD−ROM、DVDなど)が普及す

るとマルチメディアが扱えるようになった。そこで「おもしろい、たのしいソ

フト」がどんどん売り出されるようになった。価格も手ごろになって、オフィ

スだけでなく家庭にも入り込むようになり、文字通り個人として使用できるコ

ンピュータとなった。

 パソコンの普及にあわせて使いやすさは向上し、子どもが使える道具になっ

た。たとえば、キーボードで命令を打ち込まなくてもマウスを操作して操作で

きるような扱いやすいOS(基本ソフト)が普及し、基本操作がやさしくなっ

た。

 さらに、パソコンは電話回線でつながり、電子ネットワークが形成された。

コンピュータは人間の思考能力を支援すること以上に、人と人とをつなぐ役割

の方がずっと大きくなった。

 今日、ネットワークといえばインターネットといういうことになる。おそら

くインターネットが日本で脚光を浴び、その後、急激に普及していった転機と

なったのは、阪神大震災だったろう。

 電話では安否確認ができなかった時、インターネットやパソコン通信がその

威力を発揮し、広がりが無限、参加者の誰もが情報の発信者にもなれる双方向

のメディアであることを証明した。

 このように見てくると、今日さまざまな分野でコンピュータが利用されてい

るが、普通教育として求められている「コンピュータ教育」とは、「ユーザの

ための教育」ということができるのではないだろうか。

 

5 「情報活用能力」と教科「情報」

 文部省の「情報化の進展に対応した初等中等教育における情報教育の推進等

に関する調査研究協力者会議」(以下「協力者会議」)などによれば、教科「

情報」は「情報活用能力」の育成を目的とした教科だという。

 「協力者会議」がまとめた「情報化の進展に対応した教育環境の実現に向け

て(1998.8)」を中心に考えてみたい。

 「協力者会議」は、コンピュータなどを使った教育は「パソコンを使った教

科教育」と「情報活用能力(情報リテラシー)の育成」をねらいとしたものに

分けられ、後者を「情報教育」と呼ぶとしている。その上で、小中高の段階で

育成すべき「情報活用能力」を次の3つにわけている。

『(1) 課題や目的に応じて情報手段を適切に活用することを含めて,必要

な情報を主体的に収集・判断・表現・処理・創造し,受け手の状況などを踏ま

えて発信・伝達できる能力(情報活用の実践力)

(2) 情報活用の基礎となる情報手段の特性の理解と,情報を適切に扱った

り,自らの情報活用を評価・改善するための基礎的な理論や方法の理解(情報

の科学的な理解)

(3) 社会生活の中で情報や情報技術が果たしている役割や及ぼしている影

響を理解し,情報モラルの必要性や情報に対する責任について考え,望ましい

情報社会の創造に参画しようとする態度(情報社会に参画する態度)』

 教課審答申では、教科「情報」(2単位)を新設し、興味・関心に応じて「

情報A」「情報B」「情報C」の3科目の中から選択して履修するものとして

いる。各科目の内容は、「情報A」が「基礎的な技能の育成」に重点を置く、

「情報B」が「科学的な理解」に重点を置く、「情報C」が「望ましい態度」

に重点を置くというように、前記の(1)〜(3)に対応したものになってい

る。

 

6 「情報」の問題点

 こうした教科「情報」には次のような問題点を指摘することができる。

・本来は、学びたいことや学ぶ対象が先にあって、真実に迫る道具としてコン

ピュータやネットワークを利用するものである。具体的な学ぶ対象から切り離

して「情報活用能力」だけを育てるということは考えられない。学校ごとに系

統性を配慮したカリキュラムを組み、各教科の中でそれぞれコンピュータを利

用するのであり、あえて新教科「情報」を設け必修化する必要はない。

なお、「生徒によっては必要最小限の基本操作の習得にも配慮する必要があ

る」という意見もあるが、短期間で集中的に行うのが効率的で、1年間を通し

て学ぶ必要はないだろう。

・「情報A、B、C」の内容は、相互に密接な関係があるものなので、どれか

を選択して学べばよいというものではない。

・「情報B」は、その内容として情報科学、情報学の基礎を想定しているよう

であるが、はたして「ユーザのための教育」にふさわしいものなのだろうか。

また、専門教科の「情報」との関連性・整合性をはかっていくべきであるが、

十分な検討がされているようにはみえない。

・指導する教員を支援する専門スタッフの配置も検討されているが、この場合

にも、教員が「どう利用するのか(させるのか)」というビジョンを持ってい

ないとうまくいくとは思われない。

 

7 「人間教育から見たコンピュータ教育」

 佐伯胖氏は、「人間教育から見たコンピュータ教育」を提起している(註2

)。教育現場でのコンピュータは「人々の学習を支援する道具(「学びの道具

」)になるべきだ」と主張し、そのためにコンピュータ教育を、「コンピュー

タに代表されるテクノロジー全体を、教育的視点から見直し、改善し、活かし

て行くための教育」とする立場である。

 私も教育的視点でコンピュータの利用を考えたいと思っている。まず子ども

に使いやすい道具を用意するとともに、「コンピュータといえども道具で、道

具に人間を合わせるのではなく、人間に道具をあわせる」という認識を持たせ

たいと考えている。

 たとえば私の学校には、肢体障害のためにペンとノートのかわりにパソコン

を使う児童がいる。私は小学部低学年の子に50音配列のキーボードを使わせ

ている。「いずれは標準のキー配列のものを使うことになるのだから早くから

慣れさせた方がいい」という意見もあるが、「人に道具をあわせる」ことを経

験させたいと考えるからである。

 ネットワークは人が出会い・つながってゆくきっかけとなり、学びの共同体

を作る可能性を持っている。しかし、これについても教育的な視点での検討が

必要である。

 現在は、インターネット=ホームページということで、いきなり不特定多数

を対象に情報発信をすることも少なくない。ところが、成功しなかったという

例をきくことが多い。

 インターネットといえども基本はメールやメーリングリストによるコミュニ

ケーション。「画面の向こうには人がいる」のである。高校生でも、いきなり

不特定多数との交流や国際的な情報ネットワークへの参加することが教育的で

あるとは限らない。インターネットへの接続にはその前段階が必要ではないだ

ろうか。

 たとえば養護学校の中にはパソコン通信のホストを運営している学校がある。

この学校の運営するパソコン通信の教育的意義は、よく知っているクラスメー

トや教員との電子メールなどのやりとりを通してコンピュータ・ネットワーク

について学んでいくことである(註3)。そのうえに、学校間通信、学校外の

公共施設、ボランティア団体などとのクローズドな交流が考えられる。

 

8 おわりに

 コンピュータは教科書をなぞるような学習ではなく、実際の社会や文化とつ

ながり、本当のことにアクセスして、子どもが学びの主体となる学習支援の道

具としての可能性を持っている。「こういう場面では使わない」ということも

含めて、使い方さえ誤らなければ学習に有効である。

 まず、コンピュータの利用を、「人材養成」という立場からではなく、「生

徒の人格発達」という教育的観点から検討したい。

 さらに、現状ではいろいろな教科や教科外でコンピュータが使われているの

で、職員の合意づくりと自主的な教育課程編成が不可欠である。

 

【註】

1)佐伯 胖、野口 宏、尾関 周二;鼎談「変貌する認知科学とコンピュー

タ文化」、『思想と現代』33号、1993年、6〜28頁

2)佐伯 胖;「新・コンピュータと教育」岩波新書、1997年

3)櫻井 宏明;「教育実践とパソコン通信のこころみ」、『障害者のパソコ

ン・ワープロ通信入門』全障研出版部、1994年、56〜61頁


 

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