障害をもった子どもとともに生きる−障害児教育の実践−

埼玉の障害児教育の実践を読む

 

 本誌では、「障害をもった子どもとともに生きる」と題して障害児教育の実践を紹介しています。

 さて今回は、第9号から第12号に掲載された4つの実践報告を振り返り、埼玉の障害児教育の課題との関係で検討してみようと思います。

 

「生きる力」をはぐくむ

 「生きる力」ということばは、教育課程審議会や新学習指導要領が実践の裏付けもなく使うようになったので、すっかり陳腐な印象を与えるようになりました。

 今日、こうしたあやふやな「生きる力」に対しては、私たちは実践の中で鍛え上げらてきたリアリティのある「生きる力」を対峙して批判することが求められているのではないでしょうか。

 盲・ろう・養護学校学習指導要領がいうところの「生きる力」とは、「不平をいわず黙々と働く能力」のことや「自分の身辺処理が一人でできる能力」のことをさしているようです。加えて、知的障害者の指導要領では、欠けている能力を身につけさせようとするトレーニングが強調されているので、教育内容は作業や日常生活技能の訓練に偏重し、教科教育や自治活動などが軽視されがちです。

 浦和養護学校小学部の松村実践(9号掲載)は、ことばの発達がまだ不十分で、自分の要求や思いを伝えるのに先生の手を引いたり、身振りを使ったりする障害の重い子の授業づくりです。「えがく・つくる」と「うた・リズム」の授業の中で子どもたちがいきいきと活動する姿を報告しています。

 個々の子どもの発達実態や生活実態を押さえたうえで、個々人としての中心的な学習課題と、学習集団としての中心的な学習課題を設定します。学習集団の中心課題として、ここでは『外界の変化を喜ぶ、変化に気づく力、外界を変化させることを喜ぶ力をつける』ことが選ばれました。その上で教材を選択し、学習計画を立て、実際の指導が行われます。このとき、大人に関心をもっている子どもに対しては、透明のアクリル板をはさんで大人の顔が見えるように窓を作り、顔に向かって自らえがくように活動を設定するなど、子どもの生活を手がかりとしたアプローチが追求されています。

 教師は、どのように弾いてもBGMと美しいハーモニーになるようにギターをチューニングするなど、教材を媒体として文化と子どもを結びつけようと努力しています。

 直接主張されているわけではありませんが、この実践報告は、豊かな実践を背景としながら、障害が重い子どもたちにとっての生きる力とは「外界に向かって自ら働きかける力」と「人や文化とかかわる力」であると語っているのではないでしょうか。

 

基礎・基本とはなにか

 基礎・基本が大切であることは誰もが認めるところです。しかし、あらためて「それでは、基礎・基本とはなに?」と問われると、人それぞれに違ったイメージを抱くのではないでしょうか。

 子どもの学習意欲や関心とは関係なく、無理やりにでも教え込まなければならない無味乾燥なものとして使われることもあります。そういうときの授業は、意味がわからなくても暗記させたり、ドリルを繰り返して記号操作だけ身につけさせたりすることを強います。

 戸田第二小池田実践「お話をつくりながら算数の学習」(10号掲載)は、「かずの操作(計算)」そのものよりも数字の裏にある「意味や概念」を大切にした「ひき算」の授業実践です。

 池田先生は、まず、子どもたちにひき算のお話に出会わせ、お話の中から「はじめのかず」「なくなったかず」「のこったかず」を意識させます。そして、それらを手がかりにしていろいろなお話の中にある「はじめのかず」「なくなったかず」「のこったかず」を見つけ、具体的な操作ができるようにさせます。その上で、数字や記号を使ってお話を式に置き換えさせます。さらに提示された式を見て、お話を語れるように指導します。こうして、知的障害を持っていても、適切な手立てをとれば、数の世界を引き寄せ、数の世界を手に入れることができるといいます。

 この実践は、わからなくなったら立ち戻れることや数や記号の意味をつかんで豊かにお話がつくれることこそ本当の「基礎・基本」であることを教えてくれます。

 

青年期教育の創造

 試行ではありますが、九七年度から高等部での訪問教育が実施されました。この実現には、九六年夏に埼玉で開催された訪問教育研究会全国大会に参加した父母が中心となって結成された「全国親の会」が取り組んだ二回の国会への請願署名(のべ四五万)が大きな力となりました。埼玉県議会でも埼玉の「親の会」と教職員組合が提出した請願が一括で採択されました。

 病院に入院中の生徒の問題など、まだ不十分な部分は残っていますが、希望する生徒の後期中等教育は形式的にはほぼ保障されています。しかし、教育内容は、職業的スキルよりも不平不満を言わずに黙々と働く態度を育てる「職業教育」偏重など、ゆがめられています。実質的な教育権の保障のためには青年期にふさわしい教育内容の創造が課題です。

 さいたま教育文化研究所障害児教育研究委員会でも九六年度にシンポジウムを開催し、「かがやく青春(とき)をたいせつに」という冊子を発行しました。

 県教研などでは、青年期教育にふさわしいものとして、「教科学習」「自治活動」「性教育」「平和教育」「進路学習」「障害理解教育」「文化創造活動」などのレポートが報告されています。

 毛呂山養護学校高等部の萩原実践「ミュージカルに取り組む」(11号掲載)は学年集団で取り組んだ文化祭の取り組みの報告です。

 学び手が文化の創り手になりました。高等部3年間で大切に育ててきた歌ったり、踊ったりする自己表現の力を大切にしています。生徒は、ミュージカルを演じる中で現在の自己を見つめ、自分の将来を見つめていきます。

 私たちは、職業教育に偏らず、労働の教育を含む普通教育としての青年期教育の創造をさらに進めていく必要があります。

 

授業づくり

 埼玉の障害児教育の課題の一つに授業づくりがあります。

 子どもたちが生き生きと学ぶために教材研究や教材づくりは当然です。しかし、それはいかにうまく知識や技能を注入するかという教材研究・教材づくりではありません。

 浦和岸町小の北川実践「思いを描く」(12号掲載)は、小学校障害児学級での絵による表現活動の実践です。「描くことは自分を語ること」と、生活画や観察画に取り組みました。

 運動会ではみんなで沖縄の踊り「エイサー」を踊り、その感動をもとに描かれた絵は躍動感があり、仲間一人ひとりが描かれていた。感情が揺り動かされる教材に出会ったとき、世界が広がり、絵がかわったといっています。

 「子どもが変わった」ということを大切に、集団的討議を経て、一人の実践をみんなの財産にし、教職員集団の合意を広げ、実践が引き継がれていくように整理し、教訓を明らかにしていくことが必要です。

 

                           (障害児教育研究委員会)

 

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